2016年7月29日金曜日

ピンチはチャンス/怒涛のビジネススキル編その6




ピンチはチャンス

~ピンチこそ自己アピールの最大のチャンス!~




しまった!と思うことが多々あった。そういう時は血が逆流する。顔面蒼白というヤツである。頭を抱えたくなるほどの難事件、重大なトラブルが発生した時は、本当に心が折れそうになるものだ。


しかし、「ピンチはチャンス」という言葉があることを忘れてはならない。勿論、ピンチは単にピンチでしかないこともあるのだが、サラリーマンを40年近くやって来た私には、結局ピンチはチャンスだったんだなぁと気付かされることも多かったのである。


サラリーマンのピンチは主としてトラブルやクレームである。原因はたいがい自分のミスか部下のミスだ。話がどんどん大きくなり会社全体に波及するようなケースさえある。
こういうケースでは本当に精神的に追い詰められる。忘れようとしても頭から離れずに、会社を出てからも、休みの日にでさえ考えてしまい眠れなくなることも多い。どうしようもなくなって、もうこうなったら辞表を出すか、いっそのこと死んでしまおうか、などと、自分がコントロールできなくなり、どんどんマイナス思考が膨らんで行くことさえあるのだ。その時はチャンスなどとは思えない。ともかく解決したい、切り抜けたい、逃れたいと思うばかりである。

課長時代にひどい日があった。朝に怒りまくったお客様から電話があり「社長を出せ!」と怒鳴られた。お話を丁寧にお訊きし、調べた上で先方の会社にお伺いすることでとりあえず治めた。1時間くらい神経をすり減らす会話をして、へとへとで崩れ落ちそうになっていたところに、部下のG君が「課長、電話代わってくださ~い。社長を出せって言ってます。私じゃもう無理で~す」とへらへら笑いながら言うではないか。
何と「社長を出せ」の連続攻撃である。
こんなことは滅多にない。シングルの「社長を出せ」さえそうはないのに、何とダブルである。
(うーん、どうなってんだ、これは。もう勘弁してよぉ・・・)と心の中では目茶目茶動揺し混乱しつつも必死に堪え、うむ、と頷くと電話を代わりまた話し始めた。
しかし私は、「前の社長を出せ案件」で説明に行く約束をしていたので気が気ではない。それでも気力を振り絞って何とか説得し午後にお伺いすることになった。それから二つの案件を調べ、対応策を考え、疾風のように連チャンでお客様を訪問し何とか沈静化させたのである。まったくとんでもないひどい一日であった。


そもそも社長を出せと言われて社長を出す課長はいない。部長を出すことすら避けなければならないのだ。自分が責任者だから、と丁寧に申し上げて何とか自分のところで止めるのが中間管理職の使命なのである。
一人だけひどい先輩がいて、社長を出せ、という電話に対し、「はい、社長は東京の本社にいて名前は〇〇で電話番号は〇〇〇〇です。どうぞよろしく」と対応したのを目撃したが、そんな人が出世するはずはないのである。


しかし、このようなピンチの時にどんな対応をしたかは、実は評判や評価に大きな影響を与えるものなのだ。ピンチの時こそが最大のアピールのチャンスと言えるのである。
この「社長を出せ連続攻撃事件」も何となく自然に広まって、福田は根性がある、との評判につながった。根性がある訳ではない。起きてしまった案件を何とか必死に対応しただけなのである。しかしこのひどいピンチがなければこのような評判につながることもなかった。 


サラリーマンをしていると毎日毎日大なり小なりチャンスもあればピンチもある。それら膨大な数のチャンスとピンチへの対応の積み重ねが評価や評判につながるのだと思う。
ピンチをチャンスと思うのは簡単ではない。それどころではないからだ。イヤでイヤでしょうがないのだから、とてもチャンスなどと考える余裕はない。なので実際は「ピンチはチャンス」というより「ピンチは結果としてチャンスにつながっているかも」、というのが正しい表現ではあるまいか。しかしそれを理解しているだけでも違うのかもしれない。

ピンチが連続している時期は耐性が出来る。何か起きても、やっぱりまた来たか、と思え冷静に対応できるのである。平和な時期が続くと逆に耐性がなくなる。小さなトラブルでもビクビクしてしまうから不思議だ。
そんな時期に部下の人から面倒な案件が来ると、なんだよぉ、それくらい自分で解決してくれよぉ、などと思ってしまったりする。
 しかし、それを顔に出してはいけない。私はポーカーフェイスが売り物なのだ。何でもない平気な顔をして、そうかわかった、と言う。でも心の中では泣いていることもあった。


なんだようぉ、最近何にもないと思って油断してたらさぁ、ひどい案件じゃないかよぉ。いやだよ、もう。勘弁してよぉ。行きたくないよぉぉぉぉぉ!


※8月1日より「4コマ漫画+エッセイ」の配信は「平日の月・水・金」となります。火・木は随時、コラムなどを配信します。





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2016年7月22日金曜日

偉くなれ/怒涛のビジネススキル編その1




偉くなれ

~青島、正しいことをしたければ偉くなれ、について考える!~




「青島、正しいことをしたければ偉くなれ」


踊る大捜査線の中での和久さんの名セリフである。いかりや長介さんのハマリ役で、和久さんは本当に素晴らしかった。


私はこのセリフのネタを送別会など公式行事の挨拶等でよく使わせていただいた。文脈を正確に言うと、正しいと信じることを実現したければ、実現できる立場になれ、ということだろうか。


会社では理不尽と感じることや、納得いかないこと、絶対に違うと思いながらも上司に従わざるを得ないことなどが日常的に起きるものである。だが、それに対して文句ばかり言っていても根本は解決できない。結局は自分が決定権者になって自分が信じる改革に取組むしかないのだ。その為にも、一つでも上の役職を目指そう。決定権者にならないまでも、周囲に信頼される人間になろう。会社は役位がすべてではない。自分の意見を尊重してもらえるよう、周囲との信頼関係を作って行こう。そんなイメージで話をさせていただいていた。

しかし、偉くなれと言われても全員が部長や役員になれるわけでもない。その差はどこでつくのだろう。どうしたら偉くなれるのか。


大前提はやはり「周りから信頼される人」ということではないだろうか。さらに言えば会社の仕組み上、上司から信頼されない限り昇格は難しい。


課長の頃に先輩のAさんからこんなことを言われた。


「福田君、○○支店長はね、君を昇格させる力はないかもしれない。しかしね、昇格させない力はあるんだよ」。


一応真面目な顔をして聞いてはいたが、内心、(何だよ、それ。暗黒大魔王かよ!)と思った。良くすることはできないがダメにならできるなんてホント価値がないよな、と。しかし、自分が支店長クラスになって分かったのは、会社の仕組み上Aさんの言っていたことは実に正しいということだった。


昇格レースは熾烈である。単純な指標の比較だけではなく、人事が保有している過去のデータによるところも大きいし、さらに様々な力関係やパワーのある人の意図が働いたりするケースもあり不可解な部分も多い。だから上司がいくら頑張って部下を推薦しても、届くとは限らないのである。


一方、上司が部下を昇格させたくない、と思ったら簡単だ。序列を下にすればいいだけの話だし、そもそも推薦しない、という手もある。そういうことは会社のルールに則って普通にできるのだ。
だから上司からの信頼は大前提中の大前提なのである。そして上司は対象者が周囲からどう見られているか、信頼されているか、を見ているものである。上司から、というのを中心とした周囲からの信頼、これが最も重要なファクターなのだと思う。


また、上司から信頼されるには(こいつはなかなか見どころがあるなぁ)とか(すごいやつだぞ)とか思われる必要がある。それにはコツがあるのだ。
営業マンが上司から信頼され、評価される法則はこれです!


「上司は、悪い案件では出さず、良い案件にこそ連れて行く」


トラブルや、ややこしい案件は、自分が必死で踏ん張り上司は出さずに解決する。勿論、どうしても出さなくてはならない場面もあり判断が必要だが、極力出さないように組み立てる。しかし、報告だけは当初からきっちりしておく。上司を出す場合も、報告の流れから、上司が自ら「俺も行くよ」と言わせるように仕向ける。

このようなトラブル案件でベストな流れは、上司がこれは俺が行かなくてはまずいな、と思ったが、部下であるあなたが見事に一人で解決した、というものである。上司は、おー、助かったと思い、あなたの評価は上がる。


良い案件、例えば新規の大きな契約が決まっていてお客様に挨拶に行くとか、もう既にほとんど決まりかけていて形式的に挨拶が必要とか、そういう時は上司を出す。何かビジネス上プラスになるようなことが全く無くても上司を引っ張り出し、「出てもらって助かりました」とお礼を言う。更に「さすがですね」とか調子の良いことを言ってみる。自分が課長なら、「部長に行っていただいて大口契約が取れました」などと役員に報告する。つまり上司を立てることで自分の評価を上げるのである。


ところが結構この逆をする人がいるのだ。悪い案件はすぐさま上司に一緒に行ってくれと頼り、良い案件は私が一人でやりました!とアピールする。欲求に素直で単純とも言えるが、サラリーマンの世界はそんな人が残っていけるほど甘くはないのだ。


このように自分で組み立てた「法則」を徐々に積み重ねて行けば、それが自身の戦略観になり、ピンチを切り抜けチャンスを膨らませることになるのではないだろうか。


是非もう一度自分の「法則」について考えてみていただきたいものである。



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2016年7月20日水曜日

採用面接/狂乱のオピニオン編その13



採用面接
~狂乱のオピニオン編その13



新入社員の採用面接をすることが何度かあった。新卒採用は会社の生命線であり、長い目で見れば採用こそが会社を永続的に発展させられるかどうかの唯一のポイントとも言える。人は一定のサイクルで入れ替わる。企業にとっては、時代時代に会社を動かす人材を用意し続けることができるかどうかが常に最重要課題なのだ。

昔と違い中途採用も活発であるが、やはり新卒採用は各社力を入れている。私の会社では面接のスピードを上げる為に、一次面接は若手社員、二次は課長クラスなど、階層別に人事部以外の社員が応援に出てスピーディーに面接を行っていた。総力戦を仕掛け、内定を出すスピードを上げるのも勝負の重要な要素なのである。 

私は部長時代や役員時代に、最終に近い面接を担当していたことがある。その経験の中で感じたのは、学生の「上手すぎる均一感」であった。最後の方まで残って来た学生達であるから優秀なのは間違いないのだろうが、言うことがあまり変わらないので困る。

多くの人が居酒屋、コンビニ、カフェのいずれかでアルバイトをしており、その時の苦労話がかなり多い。それはまだ仕方ないと思うのだが問題は志望動機。かなり多数の人の答えは「保険会社は形のない商品を売っているので自分自身が商品。自分を磨ける仕事なので」と画一的である。
多分業種別マニュアルみたいなものがあって、よく勉強して来てるんだろうが、三人くらい続けて同じことを言われると、おいおいおい、と思ってしまう。こちらが性格が捻くれてるのもあるのだが、どうしても人と違った独創的な答えをついつい期待してしまうのだ。

大昔の話だが嘘か誠か伝説的に語られているエピソードがある。「サッポロビールの面接」というやつだ。
面接で黙り込む学生。何を訊いても全く答えず、真っ直ぐに面接官を見つめるだけ。面接官が「どうしましたか?何故答えないのですか?」と声をかけると、学生はたった一言、「男は黙ってサッポロビール」。で、見事に合格。
当時のCMをそのまま面接に持って来て、一発勝負を賭けた学生の逸話である。やっぱり作り話かな。でも私が就活をしていた頃にまことしやかに伝わっておりました。まぁ、そこまでしろとは言わないが、やっぱり人と違う主張をしてもらいたいものだと思うのである。

印象的だった学生で「金が欲しい」と強く訴えた人がいた。
自分は家がそれほど裕福ではなかったので、金の有難みを知っている。だから安定的に金を稼ぎたい。保険会社に絞ったのはその為である。自分は金を稼ぐ為なら苦労は厭わない。どんなに苦しくても頑張れる。だから自分を採用してくれ、と切々と訴えるのである。
採用面接で金だ、金だと言う人はまずいない。しかし、就活で企業を選ぶ大きなポイントの一つは収入であることは紛れもない真実である。学生はその本音は隠し、自分を磨ける仕事などと綺麗ごとを言う。しかし彼は違う。俺は金を稼ぎたいんじゃ~!金じゃ、金じゃ、金をくれ~!とぐいぐい押してくる。成績はあまり良くはなく、体育会でもなく、学生時代の素敵なエピソードも不足していたが、私は当然の如く彼に票を入れたのである。彼のその後の消息は知らない。社会人となり金を稼ぐ為に必死に頑張っているのか、それとも単に就職戦線で裏を行く作戦だったのかは今となっては知る由もない。しかし私の感情に強く訴えたことは事実であった。

アルバイトで保険会社のコールセンターのオペレーターをしている、という学生もいた。もう2年ほど事故の受付などをやっておりかなり習熟しているので、私は事故査定業務であれば明日から即戦力で使えます、とのアピールを展開していた。この人もなかなかであった。「明日から即戦力!」と自信満々に言えるキャリアはなかなかない。作戦を練ってアルバイトを選び、人とは違うアピールポイントを作って就活に臨んでいるのだろう。

しかし面接は難しい。20分程度の時間で相手の本質を見抜くなんて所詮無理なのではないか。学生に相当しっかり練習して臨まれれば、ベテランの面接官もすっかり騙されてしまうこともあるのだ。それは仕方がないことなのだろう。

採用面接はある意味騙し合いなのかもしれない。だが結果的に良ければいいのだ。騙されて正解、なんてことは世の中にはたくさんあるのだから直感を信じるしかないのだ。



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2016年7月15日金曜日

社員旅行/狂乱のオピニオン編その11



社員旅行/狂乱のオピニオン編その11

~社員旅行は何故廃れたのか!~





かつては社員旅行というのがどの会社にもあった。今もある程度はあるのだろうが、以前に較べると激減しているのだと思う。あれはどうして無くなってしまったのだろう。やはりバブル後のムードや、かつての家族的日本型経営に対するアンチテーゼのようなものであろうか。
 社員の意識が変わり、休日のイベントなどとんでもない、というムードがあるせいかも知れない。平日飲みに誘うと、「残業ですか?」と訊かれた、という笑えない話もあるし、休日にバーベキューを企画したら休日出勤を申請された、という実話すらある時代である。 


私のいた会社でも昔は社員旅行をやっていた。会社負担の旅行ではなく個人から旅行積立のような会費を集め、それを会社の行事として実施していたと記憶している。一部補助のような形の会社の負担金があったようにも思う。


私は若い頃、この社員旅行というやつがイヤでイヤでしょうがなかった。毎日遅くまで仕事しているのに、貴重な休みを潰して上司と付き合わなくてはならないなんてどうかしている!と憤っていたのである。
しかし、このような会社のイベントの特徴は、行く前は目茶目茶イヤでも行ってしまえば結構楽しい、ということだ。バスや車に分乗して行くことが多かったが、二日目の夕方とかに帰って来ると、何だか寂しくなり夕陽を見ると泣きそうになったりするのだから不思議なものである。


しかし、昔の社員旅行の宴会は何故あんなに荒れていたのだろうか。新入社員の頃の社員旅行で上司と隣の課の課長が殴り合いになったことがあり、私は慌てて上司を羽交い絞めにした。まさに殿中松の廊下である。怒鳴り合いは毎年必ず発生していたし、普段大人しい人が豹変し目が据わり上司に暴言を吐く姿などもよく見た。

あれは多分日本酒が悪かったせいだろうなぁ。私も暴れることこそなかったが、目が回ったり、一人が三人に見えたり、トイレで吐いて寝込んだり、ひどい状態になった事が山ほどあった。今は一部の記憶を失うことが年に数回ある程度で、どんなにたくさん飲んでも悪酔いをすることはないので、やはり酒の質のせいではないかと疑念を持たざるを得ない。昔はビール、日本酒、ウイスキーの3つしか無かったから、日本酒へ雪崩れ込むスピードも早かったのだ。 


それから当時の社員旅行には、参加者に無礼講的な意識もあったのかも知れない。確信犯である。
(おーし、今日は社員旅行だから酔ったふりしてあの野郎をぶっ飛ばしてやっか)なんて考えていたかどうかは知らないが、そんな疑いも捨てきれない。
前夜に殴り合いをしていた課長同士も翌日は何も無かったかのように談笑したりしていて、若かりし私は(サラリーマン社会って不思議だなぁ)と思ったものである。目が据わり狂犬のように誰彼となく噛みついていた先輩も、前夜の所業が幻であるかのようにジェントルマンに戻っていたのだ。
そのような大暴れは勿論良いことではない。今であればとんでもない話で、懲戒ものなのかも知れない。しかし、人間らしさとか人間臭さ、というようなものが色濃くあった時代だったのである。

こういうことを書くと「昭和懐古おやじ」の烙印を押されてしまうが、それがどうした!何が悪い!と開き直りたい気持ちもある。歳が行けば皆昔が懐かしいのは当たり前ではないか。そう思えるような時代だったのだ。 


さて今、徐々に日本的経営が見直され社員旅行などのイベントが復活して来ているという話もよく聞く。システム中心の業務となり、イントラネットやメールがコミュニケーションの中心に据えられているとは言え、やはりフェーストゥフェースの良好な関係が業務を円滑にするのである。だから社員旅行に限らず、コミュニケーションアップのために企画されたチーム全体のイベントがロイヤリティを高めることは間違いないのだ。人間だもの、である。


私は社員旅行の是非を論じる気はさらさらない。社員旅行以外でも日常のコミュニケーションが円滑に行く仕組みがあればそれでいい話である。
成果主義になり人間関係が希薄になったと言われるが、会社は人生の中で最も長い時間を過ごす場である。どんなに辛く苦しくとも仲間がいれば乗り越えられるし、仕事が楽でも孤立すれば潰れることもあるのだ。チームを大切にし支え合う気持ちを持つことが、結局は自分を高めることにつながるのである。


そういったコミュニケーション向上の仕組みの一つとして、きっと社員旅行が見直されているのであろう。



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2016年7月13日水曜日

人間ドック/狂乱のオピニオン編その9


人間ドック/狂乱のオピニオン編その9

~健康は金で買えるのか?!~



 健康は金で買えるのかもしれない。そんな風にも思えてくる医療の長足な進歩である。
 早期発見であれば完治する病気が多くなっており、その意味でも人間ドックの果たす役割は重要である。しっかりしたドックで年に一回検査さえしておけば、昔であれば死に至ったような病気でさえ治ることが多いのだ。人間ドックは中高年のサラリーマンにとっては当然の自己管理と認識されている。

 仕事柄葬儀に行く機会も多かったが、人間ドックなどの定期的な検査をしていれば、と遺族が悔やんでいたケースが結構多く驚いた。勿論金銭的な問題ではなく本人が医者嫌い、というケースばかり。子供じゃあるまいし、と思うのだが、未だに医者嫌いのおじさんは多いのだろう。 


私は年に一回の人間ドックを長きに亘り同じ病院で受診している。同時に胃カメラも必ずやってもらう。更に2年に一回は別な病院で大腸内視鏡検査もやっている。
 胃カメラ、大腸内視鏡はイヤだという人が多い。苦しいからである。私は胃カメラは元々比較的平気であったし、最近はずっと安定剤を点滴で入れていただいているので苦しくも何ともない。少しぼーっとするので終わってから30分くらいベッドで横になっているが、検査中のストレスはほぼ感じない。


一方、大腸内視鏡はなかなか大変だ。まず、腸を空っぽにする準備が面倒である。早朝に起きて自宅で下剤を時間をかけて3リットルくらい飲み、トイレに何度も何度も行く。よーし、これでOKと思い、出かけた途端にまたトイレに行きたくなり泣きそうになったりするのだ。
初めて大腸内視鏡検査してもらった病院は麻酔や安定剤を使わない病院だった。何をどうするのかもよくわからないまま検査に行った。すると、長い蛇みたいな、掃除器のホースみたいなものを先生が出して来た。うへっ!と思った。こんなものを肛門から入れるのかよと泣きたくなった。最初に入れられた時はすごくイヤだった。気持ちが悪いし屈辱的なのだ。お漏らししそうな感覚すらあり、もーどうしよう!と思った。


検査は20分程度も続く。どんどん中に入って行き、それを先生と一緒にモニターで見ているのである。子供の頃に「ミクロの決死圏」という映画があったが、まさにあれと同じであった。内視鏡は腸の一番上まで行くとどんどん戻って来る。それをずっとモニターで見ている。不思議な感覚である。自分の身体の中とはとても思えない。どんどん戻って来てようやく終わる。最後に抜かれる時に、何だか名残惜しく、せっかくようやく慣れたのにぃ、あー、抜かないでぇ!と何となく思ってしまう自分が悲しい。


しかし、この検査で私は大腸のポリープをたくさん取っている。最大2cm近くのものもあった。医師からは、そのまま放っておいたら確実に大腸ガンになっていたと言われぞっとした。

私は決して大腸内視鏡が好きな訳ではない。もう10回くらいはしているので慣れたことは慣れたが、できればやりたくない。しかし、人には真剣に勧めている。友人で大腸ガンになった人が結構いるのである。
2年に一回程度、面倒くさがらずに検査しておけば確実に避けられるリスクが顕在化してしまうのは、実につまらない話だと思う。どうせいずれは死ぬんだから、と言う人がいる。確かにそうだ。しかし、そういう人に限って大病をすると後悔するものである。
事故で死ぬなら良いが、大病をすると病後がやっかいである。寝たきりで長生きしてもなかなかツライものがあるのだ。

お客様で毎月人間ドックを受診している人がいた。酒も煙草も無茶苦茶な人だが、毎月詳細に検査してケアしているのである。
そんなに健康に気を使うなら日常生活からだろ!と突っ込みたくなるが、その人曰く「摂生はしないが、健康は金で買う」。なるほど、潔いコメントである。確かに最新の医療技術を享受し続ければ、健康が維持できるのかも知れない。
しかし何となく釈然としないな。本末転倒と言うか・・・。


やはり健康には摂生が付きものであるべきなのではないか。
酒もほどほどしか飲まず、煙草も吸わず、毎日1万歩散歩して夜は麦飯と焼き魚。毎食味噌汁を欠かさず、10時には寝る。心情的には是非そういう人にこそ長生きして欲しいものである。


私は中途半端だ。そこそこ健康にも気を遣い、そこそこ不摂生だ。しかし、大多数は中途半端派なのだと思う。それでいいのではないだろうか。中途半端にやって、中途半端に長生きする。それでいいのだ。そういうことにしてしまおう。


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2016年7月8日金曜日

言ってみたいセリフ/狂乱のオピニオン編6




言ってみたいセリフ/狂乱のオピニオン編6


~死ぬまでに一度でいいから言ってみたいセリフはこれだ!~




誰しも一生のうちで一度でいいから言ってみたいセリフ、というのがあるのではなかろうか。ドラマや映画ではよくあるが実際はちょっとなぁ、というようなセリフである。


「マスター、いつものやつ・・・」


これはありそうでなかなかない。簡単に言えそうだが、そもそも行きつけのバーとかないし。


「マスター、マティーニをドライで」


マティーニ飲まないしなぁ・・・。


「マスター、何でもいいんだ。強い酒をくれ」


そんなこと言うヤツは見たこともない。


「今日の勘定は俺が持つ。みんな、好きなものを頼め!」


プロジェクトが成功した時とかに上司が言うセリフである。みんな、というのが2、3人なら言えるが、ドラマではだいたい7、8人いるもんな。これも簡単そうでなかなか勇気がいるぞ。


「ここは俺が食い止める。俺に構わずお前は行くんだぁぁぁぁぁ!」


どんな仕事なのか。でもこれは一度は言ってみたいセリフではある。


サラリーマンバージョンで近いのは、


「この責任は全部俺が取る。お前らは知らなかったことにしろ」


実はこのセリフはサラリーマン人生で3回言った。


「いや、課長だけに責任を取らせるなんてできません!僕らは一心同体じゃないですか!」とか言うのかな、と少し期待しつつ言ってみたのだが、3回とも部下は全員「はい、そうですか。そうですね、分かりました。そうします」とあっさり言ったのである。
 まぁ、世の中なんてそんなもんか。


「お前の頭は飾りか!」または「お前の頭は帽子を載せる台か!」
 部下を怒鳴る時のセリフとしては秀逸だと思うのだが、イマドキはなかなか言えないよな。パワハラとかあるしね。


「自分の胸に聞いてみろ!」
 これは常套句。常套句ではあるものの私は一度も使ってはいない。結構使われているのだろうか。


「神に誓って言えるのか!」
 これも言いそうなもんだが私はないなぁ。


「良い知らせと悪い知らせがある。どっちから聞く?」
 課長に「良い報告と悪い報告があります。どちらから聞きたいですか?」なんて言ったら確実にドツかれるに決まってる。


「はっはっはっは。悪い知らせというのは、良い知らせが嘘だったということです」
 課長に殺されます。


「昨日のこと?そんな昔のことは忘れちまった。明日のこと?そんな先のことはわからない」
 だから!課長に殺されるって!


「金も名誉も手に入れた。だがこの空しさはなんだ・・・」
 とても言えやしない・・・。


「俺は商品には手を出さない主義でね」
 なんだかややこしい方向に向かってるような。


「課長、思い出をください」
 まずいな。こっち方面はまずい。


「先にシャワーを浴びてきたまえ」
 だからダメだって!


「ふぉっほっほっほ。よいではないか、よいではないか」
 止めなさいってば!


「ぶぁっはっはっは。上の口では拒んでいてもぉ・・・(以下省略)」
 はい。止めます。




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2016年7月7日木曜日

ガラケー/狂乱のオピニオン編その5



ガラケー/狂乱のオピニオン編その5

~ガラケー問題にモノ申す!~



「ガラケー」と最初に聞いた時わけがわからず「何のこと?」と会社の人に訊いたら、「ガラパゴズ携帯ですよ」と言われ余計に混乱した。ガラパゴス携帯は、スマホではない、以前のただの携帯電話のことである。
 ガラパゴス諸島の生物のように、世界標準から離れ独自の進化を遂げた日本の携帯の呼称だそうだ。着メロ、着うた、ワンセグ、電子マネーなどが独自の進化らしい。こういった言葉の普及は早い。語感の面白さもあるのかも知れない。

しかし、何故ガラケーなどと言うのか。ガラパゴスと聞くと何となくイグアナとかを思い出してしまうではないか。イグアナの形をしたイボイボの付いた形状をどうしても連想してしまう。ただの「ケータイ」では何故いけないのか。
でも、よく考えてみるとスマホも本来携帯電話の一種だから、普通の携帯をケータイと呼ぶには無理がある、ということなのかな・・・。 

ガラケーならぬガラジー、というのを考えてみた。会社で独自の進化を遂げてきたオヤジである。ガラパゴスオヤジ。
そういう人は確かに存在する。人の意見はあまり聞かず唯我独尊。専門職を続けそれなりのスキルを重ね、自分の領域を未開の地とし、他の人が入れないようにしている。ジョブローテーションなどおかまいなし。まさにガラパゴス化だ。
昔はこういうガラジータイプの人が多かった。本社の業務部門には○○の鬼、みたいな人が必ずいたもんな。しかし、マニュアル化や分業化の流れの中で絶滅寸前である。
だが、時としてガラジーが会社の危機を救うことがある。大トラブルなどが発生した時である。
普段目立たないガラジーが突然存在感を発揮して全体を仕切ったりする。まさに、ガラジーは会社を救う!である。

スペシャリストかゼネラリストか、などという論議があるが、私は個々人はスペシャリストを目指すべきだろうと考えている。勿論時代の流れには逆行するし、デメリットも多い。しかし、それぞれの領域の奥行きは果てしなく深く、人生は短く時間は限られているのだ。

ところで最近スマホに代えてみた。ガラケーの時はガラケー擁護派であった。電話とメールで何が悪い!とか、何がスマホだ、ふざけるな!インターネットは家でやれ!とかがんがんに公言していたが、使ってみると便利過ぎて驚きだ。
使っているのは主にインターネットにナビに音楽、動画などなどだが、基本アプリだけでも機能は多様であり、まさに奥行きが見えない感じだ。ずーとやってる若者の気持ちも分かるようになった。
しかし、こんなにずっと使っていたらものすごく愛着が出て来るだろうな。

愛用のスマホが壊れたり、無くしたりしたら大変なことになるのではないか。スマホロス症候群である。
私はこの子じゃなきゃダメなの!私たちずっと一緒だよね、とか言いながら肌身離さず持ち歩く。無くしたら近所に張り紙して探し回り、水没したら葬式を出す。
何をふざけたことを言っているのか、と思うだろうが、私の予想では近い将来スマホに3Dのオリジナルキャラが設定でき、コンシェルジュ的な役割を果たしてくれるようになるに違いないのだ。何でも相談できる最高の相棒。まさにD社のCMと同じである。

既に最近のスマホはよく喋る。Siriに話しかけると気の利いた返事をすることが多い。これがどんどん進化して行ったら相当持ち主と親密になるのは間違いない。
当然名前を付け愛情を注ぐだろう。彼氏や彼女の代わりを果たすのかもしれない。そうなれば例えば水没した時などに、本当にスマホ葬儀一式10万円、なんていう商売が成り立つ日が来るのではないか。

しかし、そんな葬式に呼ばれたらどうしよう。
勿論スマホ持参で行き、弔辞を読むなら友人代表で自分のスマホに喋らせるしかないんだろうけど・・・。





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