ピンチはチャンス/怒涛のビジネススキル編その6




ピンチはチャンス

~ピンチこそ自己アピールの最大のチャンス!~




しまった!と思うことが多々あった。そういう時は血が逆流する。顔面蒼白というヤツである。頭を抱えたくなるほどの難事件、重大なトラブルが発生した時は、本当に心が折れそうになるものだ。


しかし、「ピンチはチャンス」という言葉があることを忘れてはならない。勿論、ピンチは単にピンチでしかないこともあるのだが、サラリーマンを40年近くやって来た私には、結局ピンチはチャンスだったんだなぁと気付かされることも多かったのである。


サラリーマンのピンチは主としてトラブルやクレームである。原因はたいがい自分のミスか部下のミスだ。話がどんどん大きくなり会社全体に波及するようなケースさえある。
こういうケースでは本当に精神的に追い詰められる。忘れようとしても頭から離れずに、会社を出てからも、休みの日にでさえ考えてしまい眠れなくなることも多い。どうしようもなくなって、もうこうなったら辞表を出すか、いっそのこと死んでしまおうか、などと、自分がコントロールできなくなり、どんどんマイナス思考が膨らんで行くことさえあるのだ。その時はチャンスなどとは思えない。ともかく解決したい、切り抜けたい、逃れたいと思うばかりである。

課長時代にひどい日があった。朝に怒りまくったお客様から電話があり「社長を出せ!」と怒鳴られた。お話を丁寧にお訊きし、調べた上で先方の会社にお伺いすることでとりあえず治めた。1時間くらい神経をすり減らす会話をして、へとへとで崩れ落ちそうになっていたところに、部下のG君が「課長、電話代わってくださ~い。社長を出せって言ってます。私じゃもう無理で~す」とへらへら笑いながら言うではないか。
何と「社長を出せ」の連続攻撃である。
こんなことは滅多にない。シングルの「社長を出せ」さえそうはないのに、何とダブルである。
(うーん、どうなってんだ、これは。もう勘弁してよぉ・・・)と心の中では目茶目茶動揺し混乱しつつも必死に堪え、うむ、と頷くと電話を代わりまた話し始めた。
しかし私は、「前の社長を出せ案件」で説明に行く約束をしていたので気が気ではない。それでも気力を振り絞って何とか説得し午後にお伺いすることになった。それから二つの案件を調べ、対応策を考え、疾風のように連チャンでお客様を訪問し何とか沈静化させたのである。まったくとんでもないひどい一日であった。


そもそも社長を出せと言われて社長を出す課長はいない。部長を出すことすら避けなければならないのだ。自分が責任者だから、と丁寧に申し上げて何とか自分のところで止めるのが中間管理職の使命なのである。
一人だけひどい先輩がいて、社長を出せ、という電話に対し、「はい、社長は東京の本社にいて名前は〇〇で電話番号は〇〇〇〇です。どうぞよろしく」と対応したのを目撃したが、そんな人が出世するはずはないのである。


しかし、このようなピンチの時にどんな対応をしたかは、実は評判や評価に大きな影響を与えるものなのだ。ピンチの時こそが最大のアピールのチャンスと言えるのである。
この「社長を出せ連続攻撃事件」も何となく自然に広まって、福田は根性がある、との評判につながった。根性がある訳ではない。起きてしまった案件を何とか必死に対応しただけなのである。しかしこのひどいピンチがなければこのような評判につながることもなかった。 


サラリーマンをしていると毎日毎日大なり小なりチャンスもあればピンチもある。それら膨大な数のチャンスとピンチへの対応の積み重ねが評価や評判につながるのだと思う。
ピンチをチャンスと思うのは簡単ではない。それどころではないからだ。イヤでイヤでしょうがないのだから、とてもチャンスなどと考える余裕はない。なので実際は「ピンチはチャンス」というより「ピンチは結果としてチャンスにつながっているかも」、というのが正しい表現ではあるまいか。しかしそれを理解しているだけでも違うのかもしれない。

ピンチが連続している時期は耐性が出来る。何か起きても、やっぱりまた来たか、と思え冷静に対応できるのである。平和な時期が続くと逆に耐性がなくなる。小さなトラブルでもビクビクしてしまうから不思議だ。
そんな時期に部下の人から面倒な案件が来ると、なんだよぉ、それくらい自分で解決してくれよぉ、などと思ってしまったりする。
 しかし、それを顔に出してはいけない。私はポーカーフェイスが売り物なのだ。何でもない平気な顔をして、そうかわかった、と言う。でも心の中では泣いていることもあった。


なんだようぉ、最近何にもないと思って油断してたらさぁ、ひどい案件じゃないかよぉ。いやだよ、もう。勘弁してよぉ。行きたくないよぉぉぉぉぉ!